認知症特有の2種類の徘徊と問題のない徘徊

認知症特有の症状「徘徊」

認知症になってしまった家族の「徘徊」にどう対応したらいいのか、という悩みは多いと思います

このページでは、認知症特有の2種類の徘徊と問題のない徘徊について解説します

認知症特有の症状「徘徊」

目的もなくうろつき回る

「徘徊」は、認知症高齢者の問題行動の代表だと考えられています

「徘徊」を辞書で引いてみると、「目的もなくうろつき回ること」と書いてあります。しかし、認知症高齢者の徘徊の多くには、本人からしたら立派な目的があるのです。それを、回りの私たちがわからないだけです。そして徘徊にはとくに目的はないものがありますが、それはそれで立派な人間的行為です

鍵をかけないのもあり

ある特養ホームは、夜以外は鍵をかけないといいます。そういう方針だったというよりも、それが当たり前だと思ってやっているそうです

年に何回か、高齢者がいなくなって探し回る、ということがあります。探しているときには、心配だし、不安ではあります。もしものことがあったらと、つい最悪の場合を考えてしまいます。鍵をかけてしまえば、こんな気持ちにはならなくて済むでしょう。しかし、鍵をかけられて閉じ込められている高齢者は、少しずつダメになっていくような気がするということです

高齢者がいなくなるのが「年に何回」というのは、少ないと思わないでしょうか

どんなに認知症高齢者でも受け入れてきた施設だから、鍵をかけなければ毎日のように出ていくのではないか、と思うかもしれません。しかし、出ていくということは、ここが自分がいるべき場所だという実感がないからです。徘徊は、認知症高齢者がそれを私たちに教えている非言語的な訴えなのです

だから、そのたびケアを見直します。そのくり返しが「年に数回」であり、さらには「何年かに一回」にまでなるのです

鍵をかけた部屋で、毎日落ちつかない認知症高齢者の後始末に追われるよりは、鍵をかけないで落ちついている高齢者のケアをしたほうがはるかに良いと思います。「何年かに1回」は、それに十分見合う生活の、当然のリスクでしょう

自然の動きに戻る認知症患者

何回か、施設から出ていく認知症高齢者を経験すると、その出ていく方向に特徴があることがわかってきました。左方向に曲かることが多いのです

そういえば、施設のホールでウロウロしている高齢者も、左回りが多い。じつはこれは人間の自然な動きに適ったものです。人は左足で体重を支え、右足で方向を決めます。だからトラック競技はすべて左回りです。右回りにすると、転倒する人が増えてしまいます。認知症は、自然に着地していくことなのです

徘徊の目的の有無あるいは目的は何かを探すために、徘徊は分類できます。その分類は、医療がやるような病理学的分類ではなくて、徘徊している認知症のようす、とくにその表情による分類です

回帰型(確信型)の徘徊

回帰型(確信型)の徘徊
一つめの徘徊は、確信をもって家や施設から出ていこうとするタイプです

目がつり上がって、どうしても行かねばならないという、強迫観念にとらわれていることもよくあります。これを「確信型」の徘徊といいます。歩くのは早く、ふだんは伝え歩きがやっとという人でも、足早に出ていってしまうこともあります。一般に、迷うことなく一心不乱に歩いていくことが多いです

こちらの質問を聞く余裕もないこともあるが、どこに行くのか、なぜ行かねばならないのかを聞いてみると、「家に帰る」「子どもが待っているから」「仕事に行かなきゃ」などと訴えます。つまり、認知症の分類のなかの、回帰型にともなう徘徊であることがわかります

回帰型の徘徊は過去に帰っている認知症の世界を受け入れ、与えられた役割を演じ、できれば共鳴して行動を共にするのです

ある病院の看護師は、「家に帰る」と訴える認知症高齢者に、説得していたのをやめて、共鳴してみることにしました。

「そうよねえ、帰りたいよねえ」と言うと、認知症高齢者の表情はパッと変わり、「そうなんだよ、看護婦さん」と言って自分の子どもの話をうれしそうに続けたといいます。彼女は、徘徊につき合う覚悟だったというが、その認知症高齢者はしばらく話すと落ちついて、自ら自分のベッドに帰ったといいます。自分の思いを共有してくれる人がいただけで満足したのです

不安そうにウロウロする徘徊

不安そうにウロウロする徘徊

2つめの移徊は確信型とは対照的に、表情は困惑していて不安そうな徘徊です

あっちへ行っては立ち止まり、こっちに行ってはまた向きを変え、といった徘徊です。これは、どうしていいかわからないために、身の置きどころがなく、ウロウロしている夕イプです。「不安困惑型」の徘徊ともいえるでしょう

認知症高齢者の様々な問題行動の原因と同じく、心身に現れる危機を徘徊というかたちで訴えていることが大半です。尿意の切迫を識別できなかったり、トイレに行くという判断ができなかったり、あるいはトイレの場所がわからなかったりすることによる徘徊は、その典型です。それらが適切な介助を求めているように、生活のなかにある原因を探り、適切な対応をしなければなりません

認知症高齢者だって散歩くらいする

表情に余裕がある徘徊

表情に余裕があり、不安や困っている様子がない場合は徘徊と呼ぶべきではないでしょう

上に挙げた2つの徘徊には認知症特有の原因、目的がありましたが、表情に余裕がある徘徊は特に目的のないただの移動なのです

認知症高齢者だって散歩くらいするのです。だから、制止する必要はないし、むしろどんどん散歩してもらいましょう。なにしろ、目的のない睡眠や散歩といった時間こそが、人の無意識を豊かにするのです

ただの散歩は黙って見守りましょう。いっしょに散歩できればもっと良いです

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